僕は最低の子供だった。
ご飯が出てくることは当たり前、学校に行かせてもらうことは当たり前、服を買ってもらったり小遣いを貰うことは当然のことだと思っていて、親に感謝なんて一切していなかった。
そのくせ反抗ばかりしていた。
親を泣かせたこともあるし、本当に物凄く苦労をかけてしまった。
親に対して酷いことを言い放った自分を、あの頃に戻れるなら思いっきりぶん殴ってやりたい。
「甘えてんじゃねぇよクズが!誰のおかげでお前みたいなチンカス風情が毎日のんきに暮らせてると思ってんだバカ野郎!!」ってボコボコにぶん殴ってやりたい。
僕は本当に最低の子供だった。
その後親元から離れたり、人生で色々苦労を積み重ねるうちに、心から親の偉大さが分かってきた。
そんな僕だからこそ、親孝行はみんな絶対にしなければいけないと強く強く思っている。
なんなら法律で義務化してもいいくらいだと思っている。
以前オンライン英会話をやっている時にフィリピン人の講師から聞いたんだけど、フィリピンには働き始めたらみんな親に毎月お金を贈る文化があるらしい。
これを聞いてめっちゃ良い文化だなって思ったし、羨ましいなと思った。
親への感謝を示す文化があるって素晴らしいし、日本にもこういう文化を根付かせないといけないなと強く思った。
日本では社会人になってからも親孝行をしていないという人がかなり多いらしい。
でも、絶対にそれじゃダメなんだ。
親には絶対に感謝の気持ちを示すべきだ。
というか親の偉大さに気付くことができれば、むしろ自然と自分から親孝行がしたくなってくるだろう。
親孝行をしているかしていないかの差は、親の偉大さに気付いているか気付いていないかというだけの差だと思う。
というワケで、僕が絶対に親孝行をすべきだと思っている理由について今から話していこうと思う。
親が死んだ後に親の偉大さに気付いた時、全員が強烈な後悔に襲われると思う。
親ほどありがたい存在ってマジで他にはいない
あなたのことを誰よりも大切に思ってくれているのが親
ホント、親ほどありがたい存在って他にはいないよなってしみじみ思う。(育てられた親とは実際は血が繋がっていなかったり、ずっと祖父母や親戚に育てられてきたというケースもあるだろうが、ここではそれらも親と表現することにする)
あなたのことを大切に思って育てて見守ってきてくれた存在というのは、よくよく考えると本当に頭が上がらない存在だと思う。
あなたのことをそんなに大切に思ってくれている存在って、世界中探しても他にはいないんじゃないだろうか?
あなたが小さい頃から毎日毎日ずっと身の回りの世話をしてきてくれて、たとえしんどくても一所懸命仕事をしてお金を稼いできて食べ物も食べさせてもらって、親に偉そうな口を利こうが家の外でトラブルを起こそうが、ずっとあなたの味方でいてくれて、ずっとあなたの幸せを願ってくれる存在。
そんな人、他にいますか?!?!?!
親にもあなたを育てる上でそりゃ色々な苦労があったと思う。
親のありがたさなんて全く感じてこなかったような人でも、自分が今度は親になると、自分を育ててくれた親の苦労が分かるようになり、その時に親の偉大さに初めて気付くというケースは多いみたいだね。
子育てというものは本当に本当に大変なものだと思う。
世界中の人たちがみんな当たり前のように子育てをしてきているから、子育てって何か「普通のこと」のような印象があると思う。
やって当たり前、できて当たり前っていう。
けどよくよく考えると、子育てって実は親の人生を賭けた超一大プロジェクトであり、難易度は超SSS級だと思う。
だって夜泣きする赤ちゃんを毎晩あやし、栄養のことや献立を考えて毎日料理を作り、ただでさえ仕事が大変なのに帰ってきてから掃除や洗濯もして、その上子供からはワガママや反抗的なことを言われることだってあるし、子供の学校生活や進路のことなどで色々心配事もあるだろうし、もちろん子供のことだけじゃなく自分自身の生活のこともあるし、そんなことをかれこれ20年前後に渡って続けていかなければいけないんだから、これはもうとんでもない超ハードなビッグプロジェクトだよ。
世間の親たちは、実はめちゃくちゃすごいことをやっていると思う。
今親から受けている愛情や親切を当たり前に思ってはいけない。
偉そうにそんなことを言っている僕も、昔親元にいた時は親から与えてもらうものを当たり前だと思っていて全く感謝していなかった。
しかしその後、その態度は完全に間違っていたと気付いた。
自分の間違いに気付いた時、どうしようもなく激しく後悔した。
こんなに自分のことを思い続けてきてくれた親、色々な苦労をしながらも自分を大事に大事に育ててきてくれた親に対して、どうしてそれが当たり前のことだと思えるのか?!
なぜ感謝の気持ちも一切示さず、あろうことかなぜ平気で冷たい態度なんて取れるのか!!
一人の人間としてなぜそんな仕打ちを、無償の愛を与え続けてくれた世界でたった一人の人に対してできるのか!!!
これらは過去の僕への反省も込めて、深く深く胸に刻まなければいけないと思っている。
親の愛情、そして親の存在を当たり前に思ってはいけない。
あなたのことを深く愛し、ずっと味方でいてくれる存在なんて本当に特別すぎる存在だ。
それは決して当たり前の存在なんかじゃない。
今のあなたがそうやって暮らせているのは親が生んで育ててくれたから
今あなたが友達と遊んだり、恋人とデートしたり、美味しいものを食べたり、ゲームをしたり、趣味に打ち込んだりできるのも、全ては親が生んで育ててくれたから。
あなたが人生で経験してきた楽しい瞬間は、親が生んで育ててくれなければ全て存在しなかった。
人生ってしんどいことも多いけど、でも楽しいことも色々あるし、そういう酸いも甘いも全てひっくるめて人生を歩むことができているのであれば、そういう舞台を用意してくれた親にはやはり感謝すべきだ。
ちなみに僕は今、人生が幸せだ。
だから僕は、これからの人生は僕に幸せな人生を用意してくれた親への恩返しを第一目標に生きていこうと思っている。
そして、親に恩返しをしたいという強烈な思いが日々のモチベーションになっており、結果的により充実した毎日を送ることができている。
こうやって充実した毎日を過ごせるなんて、ホント親には頭が上がらない。
親が死んだ時何もしてあげられなかったことを必ず後悔する
もし親に何も恩返しをすることなく親が死んでしまえば、必ず後悔することになるだろう。
そしてその後悔は死ぬまで消えることはないと思う。
例えば僕は大学を卒業する直前におばあちゃんを亡くした。
まだ親元を離れる前のことであり、両親は当然のこと、おばあちゃんから与えられるものも当たり前だと思っていた。
今はやはりその考えは間違っていたと思うし、何よりもおばあちゃんに何も与えてあげられなかったという後悔が今はとても大きい。
いつもおばあちゃんに与えてもらってばかりで、もっと色々なことをしてあげたかったなと今は凄く後悔している。
ネットを見ていても、親に恩返しをしてあげられなかったことを後悔する声って本当に多い。
そりゃそうだ、親ほどありがたい存在はいないから、やがて恩返しをしてあげられなかったこと、優しくしてあげられなかったことは必ず後悔することになる。そういうものだ。
与えてもらったものはやがて返したい気持ちになるものだ。
もし返さなければ返せなくなった時に絶対、必ず後悔する。
親はいつか必ず死ぬという現実を受け止めるべき
親はいつか必ずいなくなる。
いつまでもあなたのそばであなたを見守ってくれているということは、あり得ない。
必ず、親にも死が訪れる。
「親孝行したいときには親はなし」ということわざがある。
人生で色んなことを経験し、苦労を知り、家族もできて親の苦労や愛情が分かるようになり、親孝行がしたいと思った時にはすでに親はこの世にはいないという意味だ。
そんな悲しいことってないと思う。
その時の「親孝行をしてあげられなかった」という後悔って物凄く大きいと思う。
であれば、今から親が死ぬまでにたくさん親孝行してあげればいい。
親は必ずこの世からいなくなるという現実を受け止め、今から逆算してたくさん親孝行をしてあげるべきだ。
また、「親は必ず死ぬ」という現実をしっかりと受け止めることで、親が死ぬまでの日々をもっと大切にできるだろうし、親にももっと優しくしてあげることができるだろう。
そうやって、親から与えられてきたものを少しずつ返していくべきだ。
親が死ぬ時は、「色々大変なこともあったけど、本当に幸せな人生だった」と思ってもらえるように色々手を尽くしてあげるべきだ。
世界で一番大切な人の人生を、あなたの手で最高に幸せな人生にしてあげるべきだ。
特別な親孝行は必要ない
さて、実際に親孝行をしようとすると、「よし、世界一周旅行に連れていこう!」とか、「高級料理店に連れて行って美味しいものを食べさせてあげよう!」と意気込んだりするかもしれない。
しかし、そんな大袈裟な親孝行をする必要はないと僕は思う。
親に2000円ぐらいで誕生日プレゼントを買ってあげたり、体調を気遣ってあげたり、家事を手伝ってあげたり、いつもよりも会話をしてみたり、LINEで一言感謝を伝えてみたり、こんなことで十分だと思う。
親としては子供から感謝されているという気持ちが伝わってくるだけで、ものすごく嬉しいらしい。
特別な親孝行は必要ない。
なんでもないようなことが実は一番ありがたかったりする。
ちなみに、なんでもない普通のことこそ一番大切にすべき理由について過去に詳しく解説しているから、もし興味があったらこちらの記事も読んでみてもらいたい。
親への感謝を持って、当たり前のなんでもない日常をより一層噛み締めながら生きていければ、それで十分。
逆に言うと、なんでもないことならすぐにでも始められるはず。
親との時間は有限。
迷っているヒマはない。
もし今親孝行の必要性を感じているのであれば、すぐ行動を起こそう。
行動で示さないと親はあなたからの感謝に気付けない。
どんな小さなことでもいいから、まずは親孝行のための行動を起こしてみよう。
まとめ
以上、ここまで親孝行について僕の意見を述べてきた。
講釈を垂れてきた僕も、冒頭で話したように学生の頃は酷い子供だった。
そして親の偉大さが分かった時、過去の自分の言動が全て完全な間違いだったと気付いた。
それ以降僕なりに親に対して親孝行をしてきている。ある意味罪を償う気持ちも込めながら。
ホント、親が元気なうちに親の偉大さに気付けて良かった。
もし親が死んだ後に親の偉大さに気付いたとしたら、僕は激しく後悔し自分を否定しながら人生を生きていたのではないかと思う。
「自分をこんなにも愛してくれていた人をぞんざいに扱ってしまい、自分の手で不幸にしてしまった」と。
親は偉大だ。
しかし、虐待親はこの限りではない。
この記事で言及してきたのはあくまでも子供を愛している一般的な親のケースについてだ。
親から虐待を受けているわけでもなく、大切に育てられたのであれば、立派になったあなたの手で親孝行をしてあげるべきという趣旨だ。
ちなみに僕は今年の母の日には、カーネーションと一緒に自分で描いた水彩画と直筆の手紙を送るつもりだ。
「お母さんの子供でよかった」という言葉をどこかに添えたいと思っている。
僕はウルトラシャイな人間だから、正直言うとかなり恥ずかしい。
でも、僕のそんな恥ずかしいという気持ちはこれまでの親の愛情や苦労と比べるとホントちっぽけなものだから、自分が恥ずかしい代わりに親が嬉しがってくれるのであれば、喜んで恥ずかしがってやろうと思っている。
要は自分にとって何が大事なのかという優先順位さえ間違わなければいいだけだ。
今僕は自分よりも親の方が大事だ。
だから自分が苦労してでも親には感謝の気持ちを示し続けたいと思っている。
親ってもう、本当に偉大。
家族って本当に何よりも尊い。
この記事を読んだあなたが、少しでも親孝行の必要性を感じたのであれば、300円のケーキを買ってきてあげるというぐらいの小さなことでもいいから、実際に親に感謝の気持ちを示してみてはいかがだろうか?
変わったことの唯一の証は、行動をすること。
小さな親孝行から少しずつ始めてみよう!