友達っていいですよね。
一緒にふざけ合ったり、一緒にご飯を食べに行ったり、楽しい時間を共有するだけじゃなく、悩んでいる時に相談に乗ってもらったり、共通の目標に向かって一緒に努力をしたりと、友達がいるからこそ、色々なことを今以上に頑張れたりするんだと思います。
チームを組んで目標に向かえば、苦しいこともあるでしょうが、それと同時に目標に向かう過程や目標に到達した時などに何物にも代えがたい学びや喜びが得られるでしょう。
また、地域の人たちの温かさに触れ、心がほっこりするようなこともあったりするでしょう(*^^*)
このように色々な人と接していると、様々な学びや喜びが得られると思います。
しかしここでいきなり言い放ちますが、他人は所詮他人です。
友達や、チームの仲間や、地域で見守ってくれている人たちは全員他人です。
当たり前ですが、その人たちは自分ではありません。
ただの他人でしかないのです。
ちょちょちょ、ちょっとおー!!いきなり何なのよそのトーンの変化は!人の絆に関する感動的なお話かと思ったのに……
…お前は人格二つ持ってんのか?
なんか、ちょっと寒気がしましたね。。。
しかし他人は他人であることは事実であり、血が繋がっている家族でもない限り、他人はそこまで信用しない方がいいし、期待しない方がいいと思います。
そこで、なぜ僕がこんな冷たいことを言っているのかについて、この記事で詳しく喋っていきたいと思います。
人間関係で傷付き、他人を信用できなくなったり、人間関係で生きづらさを感じている人たちの参考に少しでもなれば幸いです。
期待が大きければ大きいほど裏切られると超しんどい
他人はあくまで他人なので、自分が期待することを相手がしない可能性が大いにあります。
例えば自分が困っている時に「あいつは友達だから助けてくれるだろう」と思っていても、実際友達が助けてくれないことも十分あり得ます。
そしてその時の期待が大きければ大きいほど、相手が期待に答えてくれなかった時につらくなると思います。
「彼らは自分のことを友達だと思っていないのか…?」「自分はその程度の人間ってことなのか…?」と悩むこともあるでしょう。
しかしそれはあなたのせいではなく、他人との人間関係ってそういうものだと思います。
自分には自分の人生があるように、友達にも友達の人生があります。
こちらのことをいつも考えてくれているわけではありません。
逆の立場でいうと、あなたは四六時中友達のことを考えていられますか?という話です。
自分の人生に物事の優先順位があるように、友達の人生にも物事の優先順位というものがあります。
自分の中では「これが一番大事でしょ!」と思っていても、友達からすると「いやいや、こっちの方が大事だよ!」というように価値観が違ってくるのは自然なことです。
自分と友達は全く違う人生を歩んでいる全く別の人間なのですから。
そして自分にも物事の優先順位があるのであれば、友達の物事の優先順位も認めてあげなければいけないと思います。
例えば、もしあなたが友達から「○○へ遊びに行こう!」と誘われても、「その日は彼女とデートがあるから…」とあなたはその誘いを断るかもしれません。
その逆もまた然りで、あなたが「この後あいつと一緒にご飯でも行こうかな!」と思っていても、その友達はご飯より新作のゲームをしたくて誘いを断るかもしれません。
他人は他人であり、何が大事かは人それぞれ違うので、友達が自分の期待に応えてくれないことがあっても、それはもう仕方のないことだと思います。
相手に自分の要求を求めすぎるのは酷だと思いますし、逆に自分が友達から「あれをしてほしい」「これをしてほしい」と要求され続けたらうっとおしくて仕方ないでしょう。
他人は結局のところ、あくまで他人でしかないのです。
そして期待しすぎると思った通りの結果にならなかった時にしんどくなるので、他人にはあまり期待しすぎない方がいいでしょう。
何に対しても全く期待するなというよりも、「期待をするにしてもほどほどにしておいた方がいい」と僕は思っています。
期待のレベルが低ければ低いほど、期待した結果にならなかった時に受けるショックは少なくなるからです。
そんな感じで僕はしんどい思いをなるべくしたくないから、予防的に何事にもあまり期待をしないようになりました。
そしてその結果、深く傷付くこともなくなりました。
絶対にいける!と思っていけなかった時のショックは確かに相当大きいなと自分の過去を振り返って思いますね…。「このテストでは絶対良い点が取れた!」と思っていたら全然良い点数じゃなくてかなり凹みましたよ…。
俺も昔仲よく遊んでいた女の子がいて、「これは絶対にいける!」と思って告白したら2秒で撃沈して半年ぐらいベッドから起き上がれなかったな
確かに、期待していた分それが良い結果にならなかった時は結構しんどいよね…。すごく分かるわ。
良い人がいれば悪い人もいるのが世の中
世の中は良い人だけで構成されているワケではありません。
当然悪い人も一定数います。
なので生きていたら悪い人に遭遇することもあると思います。
例えば僕の親戚の例を挙げると、借金の保証人になって、そして最終的にその借金を全て被らされた人がいます。
その人はとても優しく、「困っている人がいたら放ってはおけない」というタイプの人でしたが、結局その優しさにつけ込まれ、借金を全て被らされてそのまま姿をくらまされたようです。
全面的に相手を善意の目で見ていると、このように自分がただただ損をして終わってしまうこともあり得ます。
良い人がいれば悪い人もいる、これがこの世の現実だと思います。
もちろん相手を信頼することは状況によっては大事ですが、しかし前提として「他人はあくまで他人だ」という認識で常にいた方がいいでしょう。
こちらの希望通りに相手が動いてくれる保証はどこにもありません。
なんか、性悪説で物事を見るのって私はあんまり賛成できないな。みんなそれぞれ良い心はちゃんと持っているから、その騙した人もその後後悔して反省して、今頃はきっと良い行いをしていると私は思うな。
まぁ、そんなこと言ってて騙されても俺は知らんぞ
「全ての人は良くない人だ」と最初から思っておこう
基本的にみんな良い人だと思っているから、人間関係において何か少しでも良くないこと、都合の悪いことが起きた時にショックを受けたり他人に対して強い不信感が芽生えてくるんだと思います。
であれば、いっそのこと最初から「全ての人は良くない人だ」と思っておいた方がいいのではないかと僕は思います。
そうすると他人に対する期待値は最初から低くなっているため、他人から裏切られたとしてもそれほど大きな精神的ダメージは受けないはずです。
そもそも僕は、人間って汚いものだと思います。
嫉妬して周りの足を引っ張ったり、他者を出し抜いて自分の利益を追い求めたり、高いポジションに就くと偉そうに振る舞い始めたり、ウソをついて他人を傷付けたり、自分よりも弱そうな人をいじめたりするのが人間の基本的な性質だと思います。
「そんなことはない!自分の周りの人はみんな良い人ばかりだよ!」と思うかもしれませんが、しかしそれはその人たちが現在ある程度生活に余裕があり、悪く思われないよう周りの目も気にしながら生きているため、社会的に良いとされる振る舞いをしているだけだと思います。
仮にその人たちの環境が変わって生活に余裕がなくなったり、他人の目が入らないような少人数の閉鎖的な環境で過ごすようになると、多分態度振る舞いは変わってくるはずです。
社会的に推奨される態度振る舞いをだんだん取らなくなってくるでしょう。
その辺のメカニズムはこちらの記事の「なぜいじめは起きるのか」の章で解説してあるので、もし興味があったら読んでみてください。↓
というワケで、全ての人は良くない人だと思っておくことは、あながち間違いでもないと思います。
しかしそうやって心の準備ができていると、他人から冷たい仕打ちを受けた時に必要以上に傷付くことはなくなるはずです。
俺はお前の意見に賛成だ。
性悪説で他人を見てると、結構合理的に人を見定めることができると思うんだけどな
確かに、他者を最初から良い人だと思って接していると、トラブルがあった時に人間関係に亀裂が入りやすいと思いますが、他者を最初から良くない人だと思って接していると、トラブルがあっても「まぁ、人間そんなものだ」と思って人間関係を修復できる可能性は高そうかなとも思いますね。
うー、反論したいけど、確かに一理あるような気もする。。。
しかし友達は所詮他人だからといって偉そうな態度を取ってはいけない
僕は、他人はあくまで他人だと思っていますが、だからと言って相手に偉そうにしてもいいとは思いません。
相手が自分に迷惑さえかけてこなければ、別に普通の態度で接していればいいと思います。
仮に友達に耐えがたい迷惑をかけられた場合、その人との縁を切りたければ切ればいいでしょう。
それまでは特に普通に接していれば十分だと思います。
そして、なんだかんだ言ってもやはり友達や仲間の存在は良いものだと思います。
世の中悪い人がいるのも事実ですが、それと同時に良い人がいるのもまた事実です。
僕にもずっと昔からの仲の良い友達がいますが、くだらないことを言い合ったり遊んだりすることで良い気分転換にもなっています。
そこそこくらいでいいので周りと一定良好な人間関係を築いておくこともやはり大事だと思いますし、自分が困った時に頼れるような人が1人でも2人でもいるに越したことはないでしょう。
もちろん、「特にこの人とは気が合うな」というような人とはどんどん仲良くなっていったらいいと思います。
ですが、相手の立場にも立って、その人にあらゆることを過度に期待するのはやめておいた方がいいでしょう。
まとめ
以上、僕が他人はあくまで他人だと思う理由について述べてきました。
料理は薄味だと比較的長い期間楽しめますが、濃い味だとすぐに飽きてしまうと思います。
夫婦関係なんてその最たるものでしょう。
そうじゃなくて、僕は程よい距離感を保って関係を築いた方が、長く関係を築いていけると思います。
人間関係は基本、薄味がいいと僕は思います。
「君子の交わりは淡きこと水の如し」という言葉がずっと昔からあるように、適度な距離感の方が良い関係を保っていけるというのが人間関係の法則なのでしょうね。
でも私にはすっごい仲の良い友達がいるけど、関係が悪くなったことはないよ!
そういう関係性を築くことができる人もいるんだろうな。なぜかは分からないがとにかく波長が合うというね。まぁ、ごくごく一部だと思うけど
人間関係って難しいですよね。
僕も散々悩みました。
人間関係は悩み始めるとキリがないので、今の僕は「最悪別に嫌われても、まぁいいかな」と割り切っています。
どうせ5、6人に嫌われたところで人生が終わるわけでもないですし、ソリが合う人もいれば合わない人もいるのが世の中だと思うので、自分の行動にやましいところがないのであれば、別に嫌われても良いと思います。
ちなみにめちゃくちゃ有名なのでもう知ってるよ!と思う人もいるかもしれませんが、人間関係で悩んでいる人はこの「嫌われる勇気」という本を一度読んでみることをオススメします!
僕は昔この本を読んでかなり心が軽くなった経験があります。
人間関係の悩みから解放されるヒントがたくさん詰まっており、レビューの高評価もかなり頷けると思います。
というワケで、ここまで長々と読んでくださりありがとうございました!
肩肘張らずにあっさり薄塩味で人生を長く楽しんでいければいいなと思います \(^n^)/