昨日、実家で飼っていた猫を亡くした。
彼はとても人懐っこくて、いつも愛嬌を振りまいて周囲から愛されていたような子だった。






両親もまるで我が子のように溺愛していた。
だから今は本当に本当に、残念でならない。
しかも半年ほど前に実家で飼っていた犬も亡くしている。
半年以内に立て続けに2匹いたペットが2匹ともいなくなってしまった。
僕も寂しいし、両親はさらにもっと寂しいだろう。
ペットは人間と違って反抗期やややこしいトラブルもなく、ポジティブなものしか与えてくれないから尚のこと悲しい。
確かにペットの死は本当に悲しい。
でも僕は、結局のところペットロスには陥っていない。
塞ぎ込み、ずっと泣いて、何もする気が起きないという状態が続くことはなかった。
むしろ実家からペットがいなくなって両親がすごく悲しんでいるみたいだから、それを考えることの方がよっぽどつらい。
ではなぜ僕がペットの死の悲しみを乗り越えてまた前を向いて人生を歩んでいけるのか、その考え方をこれから話していきたいと思う。
ペットの死で心を痛めている人たちの参考に少しでもなれば幸いだ。
悲しいということはそれだけ楽しかったということ
ペットが死ぬと、それはもう、とても悲しい。
悲しくて、愛おしくて、寂しくて、涙が次から次へと溢れ出てくる。
もう触れ合うことができないんだと思うと悲しくて悲しくて、心の中がどんよりと重く、本当につらい。
しかしよくよく考えてみると、それだけ悲しいということは、今までがとてもとても楽しかったということの裏返しではないだろうか。
例えばもし仮に近所の犬が死んだということをどこかで聞いたとしても、自分のペットが死んだかのように泣くことなんてまずないだろう。
それは、近所の犬とあなたの間には特別な思い出が何もないからだ。
しかし自分のペットが死んでそれだけ悲しいということは、これまでのペットとの触れ合いの中でたくさんのポジティブな感情をペットから与えてもらい、楽しくてかけがえのない思い出がたくさんあるという証拠だ。
楽しくてキラキラした特別な思い出がたくさんあるから、深く悲しいんだ。
だから、そんなかけがえのない思い出がたくさんあるのであれば、ずっと悲しみ続ける必要は僕は全くないと思う。
むしろ、そんなに涙が出てくるほどの深い関係を築けたこと、たくさんの愛おしい思い出が作れたことに胸を張ってもいいはずだ。
もし仮にペットが死んでも悲しくないのであれば、あまりペットとの関係も良くなく、良い思い出もあまりないということだと思う。
そう考えると、ペットとのかけがえのない思い出をたくさん持っている自分の人生を、おもいっきり肯定しても良いのではないだろうか?
そもそもペットは癒えない悲しみを残すためにあなたの所にやって来たわけではないはず。
あなたと楽しいことをたくさんして、楽しい思い出をいっぱい作って、そして幸せにこの世から旅立っていけたのであれば、ペットはあなたのペットで良かったと今頃大満足していると思う。
その揺るぎない証拠が、今のあなたのその涙だ。
悲しいということは、それだけ楽しかったということ。
だから悲しみ続ける必要は全くないと僕は思う。
胸を張ってこれから生きていっていいと思う。
多分、ペットの方は空の向こうで深く満足し、微笑んでいると思うから。
ペットはずっと心の中で生き続けている
ペットが死んだ時、果たしてそれは本当に「死んだ」と言っていいものなんだろうか?
確かにペットはもう動かない。
けど、目を閉じると、生前のペットの姿を簡単に思い浮かべられるのではないだろうか?
ペットとの楽しかった思い出を鮮明に思い出すことができるはず。
つまり、ペットは確かに肉体的にはもう死んでしまっているが、あなたの心の中ではずっと生き続けているということだ。
僕の大好きなピクサーの映画に「リメンバーミー」という映画がある。
その映画では、人は2度死ぬということが言及されている。
1度目の死は心臓が止まった時、つまり肉体的な死。
そして2度目の死はその人の存在が誰からも忘れられた時、つまり精神的な死だ。
このように死には2つの段階があるとのことだが、これはペットの死にも同じことが言えると思う。
例えペットが死んで動かなくなったとしても、ペットはあなたの心の中ではずっと生き続けているのであり、あなたがペットの仕草や表情や遊んだ思い出を思い出せる限り、ペットは死んで完全にいなくなってしまったワケではないと思う。
精神的な死こそが本当の死であり、ペットは心の中で生き続けているということも言えると思う。
そして誰もが心の中ではペットにいつでもどんな時でもすぐ会えるのであり、そう考えると寂しさも少し和らいでくるのではないだろうか?
ペットは虹の橋であなたを待っている
世界中のペットロスの人たちに読み継がれている「虹の橋」という詩がある。
ペットは死ぬと天国の少し手前にある虹の橋という場所に行き、そこでのんびり暮らすらしい。
そしてやがて飼い主が死んだ時に、その飼い主は天国に行く前に虹の橋に立ち寄り、ペットとの再会を喜び合い、そして天国へと続く虹の橋を一緒に渡って行くらしい。
このように、ペットとの現在の別れは一時的なものであり、またいつか再開することができるものだと思う。
だからその日を楽しみにしながら、ペットと次に再開した時の土産話のために、我々は今の世界を目一杯楽しむべきだと僕は思っている。
だって、ペットと再開した時の顔がシケた顔じゃ雰囲気台無しだもんね。
ペットと虹の橋を一緒に渡るその日まで、今は少しのお別れ。
今はホント、ただそういう時期なだけだと思う。
人生が悲しい色に染まっているのなら新しいペットを迎え入れる
大切な家族が死に、悲しくて寂しい思いをしているのであれば、新しい家族を迎え入れることを考えるのも一つの有効な選択肢だと思う。
ある調査では、ペットを亡くした人が悲しみを癒すきっかけになった出来事の第一位が「新しいペットを迎え入れたこと」だったらしい。
しかし、「新しいペットを飼うのは亡くなったペットに失礼な気がする」という意見や「前の子と比較してしまい、愛情をちゃんと注げるか分からない」という感じで新しいペットを迎え入れることを躊躇する人も一定数いるようだ。
確かにそういった気持ちも分かるが、しかしずっと悲しみが癒えずつらい思いをしているのであれば、一度ペットショップに足を運んだりしてみるのもいいのではないかと僕は思う。
このままつらい気持ちを抱えて生きるよりも、新しい子とまた楽しい思い出を作って前向きに人生を生きていった方が僕はいいと思う。
亡くなったペットもご主人様には楽しく生きていてもらいたいはずだ。
まとめ
ペットの死は本当にとても悲しい。
でも、生き物っていつかは死ぬものだから、これはもう仕方がないことだ。
しかしペットが死んだからといって、物事を色々と否定したりネガティブになる必要はない。
そんなに悲しいのは、ペットとの時間が何物にも変え難く素晴らしいものだったということの裏返し。
だからペットとの過去や自分の今後をどうか悲しい色で染めてしまわないでほしい。
そんなに変わってしまったご主人様じゃ、虹の橋で再開した時にペットに気付いてもらえないと思う。
愛おしくてかけがえのない思い出をたくさん作ってくれたペットと、そんなペットを幸せにした自分を誇りに思い、前を向いて生きていってほしいと思う。
また、僕自身今回のペットの死で改めて学んだことがある。
それは命の尊さ、生きていることの素晴らしさについてだ。
ペットが生きていることと生きていないことには天と地ほどの差がある。
しかしその差はというと、その生き物に生命が宿っているか宿っていないかという、それだけの違いだ。
にも関わらず、ペットが生きているとあんなにも楽しい気持ちになり、ペットが死ぬとこんなにも悲しい気持ちになる。
改めて、命って尊いんだなって思った。
生命が宿っていることの素晴らしさ、この世界ってただ生きているだけでもう十分素晴らしいんだなっていうことを、もう動くことはないペットの姿を見て改めて学んだ。
また、半年前に犬が死んだ時にそこから学んだことや感じたことなども記事にしてあるので、読んで気持ちが楽になるか分からないが、良かったこちらも読んでみてほしい。
というワケで、ここまで僕が書いてきたことがペットロスの方の気持ちを少しでも和らげることができるのであれば僕は嬉しく思う。
やっぱりペットっていいね。
生命って、尊いね。
最近ゴールデンレトリバー良いなって思ってて、マジ飼いたい。
今はペット禁止物件に住んでるからダメだけど、いつかね。