僕は友達や知り合いや同僚といる時、普通です。
話したり、時には笑ったり、ごく普通です。
しかし、家族といる時は全く違います。
家族の前では別人になったかのように、全く笑いません。
自分から家族に喋りかけることもあまりありませんし、喋ったとしても声のトーンが暗くなります。
まるで家族の前で感情を出さないようにしているかのごとく、とにかく無表情、無口です。
友達はできるだけ家に呼びたくありません。
それは多分、友達と喋って素の感情を家族に見せたくないからかもしれません。
だからと言って親が嫌いなわけではありません。
むしろ親をとても大切に思っており、特に母親のことは自分の存在よりもずっとずっと大切に思っています。
このように僕は、自分の家族に対してかなり複雑な心を持っています。
そして、なぜ僕がこんなふうになったのかというと、それには父親の教育が大きく関係していると思います。
では、僕が成長していく過程で一体何があったのか。
これから子育てをしていく人たちには、僕の事例を反面教師にしてもらいたいと思います。
思っている以上に親の教育は子供の人生を左右します。
昭和タイプの父親にとてもとても厳しく育てられた
僕は父親が40歳の時の子供であり、昭和のど真ん中を生きてきたバリバリ昭和タイプの父親の教育を受けて育ちました。
僕がまだ幼稚園に通っているような年齢の時からしつけの一環として怒られた時によく外に放り出され、家に鍵をかけられ、僕は玄関の前で「家に入れてほしい」とワンワン泣いていました。
ちょっとしたことですぐに厳しく怒られましたし、毎日怒られていたような気さえします。
怒り方も上から子供を押さえつけるような怒り方で、有無を言わさず怒鳴るといった感じでした。
体罰も受けたことはあります。(小学生の時に頬を張られたが、体罰はその一回だけ)
数年前に実家に帰省した時、僕が小学生の頃家族と公園に遊びに行ったビデオを観たのですが、「…なんでそんなことで怒られるの?」というような些細なことでビデオの中の僕は怒られていました。
また、僕は小学生の頃は塾に通っていて、中学受験を目指していたこともあり、毎晩勉強させられていました。泣きながら。
解けない問題があると父親に怒られ、毎晩泣きながら鉛筆を持って必死に問題と向き合っていました。
毎晩毎晩毎晩毎晩、泣いて泣いて泣きながら。
結果、中学受験も失敗しました。
ちなみにその後はお察しの通り、僕は勉強が死ぬほど大嫌いになり、進学時には超ラッキーが重なって進学できたものの、中学、高校、大学で一切勉強をすることがなくなりました。
こんな具合に、小学校や中学校ぐらいまでは特に厳しく厳しく育てられました。
いつも怒られてよく泣いていました。
家庭が僕にとってあまり安心できる場所ではなかったことは事実でしょう。
明るかった僕が次第に無口になっていった
ハッキリとした記憶があるわけではないですが、中学生になっても毎晩の受験勉強がなくなっただけで、家庭での厳しいしつけはあまり変わらなかったと思います。
ちょっとしたことでよく怒られていました。
そして、僕は次第に家で喋らなくなっていきました。
思春期だからみんなそうなると思います。
しかし、僕の場合は思春期の時から、今現在までずっとその状態が続いています。
その後高校や大学に進学しましたが、家で笑ったり家族と他愛もない話をすることは一切なくなりました。
学校やプライベートで遊ぶ友達とはよくふざけて笑い合ったり、色んなお喋りをしていました。
しかし、「ただいま」と家に帰ってからは全く人格が変わってしまいます。
家と家以外では僕は全く別人です。
僕は家族と話さないでおこうと思っているわけではないのですが、勝手にそうなってしまいます。
妹と10年以上一言の会話もない
また、僕には2才下の妹がいますが、小学校高学年ぐらいの時から大学を卒業して上京する前日まで、妹と一言も会話をすることはありませんでした。
僕が高校生ぐらいの時に父親に一度だけ泣きながら「頼むから妹と仲良くしてよ」と言われたことがあります。
父が泣いているのは初めて見ましたし、今思うとあんな兄妹の状況が長く続いて親としては相当つらく、悲しかったんだろうと思います。
しかし僕はその後も妹とも両親ともコミュニケーションを取ることはなく、完全に家族との時間は失われた時間となってしまいました。
社会人になってからしつけの影響で苦しむ
そして僕は、子供の頃の厳しいしつけが、社会人になっても悪い影響を与えていると感じています。
僕は自分の意見を面と向かって相手になかなか言えません。
分からないことがあっても周りにすぐ聞くことができません。
それは、自分の言ったことを否定される恐怖が心の中にあるからだと思います。
毎晩の厳しい勉強を通じて「問いに間違えたら怒られる」という強烈な嫌悪感が染み付いたため、心の奥深くで間違うこと、知らないということを過度に恐れているんだと思います。
また、周りからどう思われるかも過剰に気にしてしまい、周りの空気にビクビクすることもよくあります。
これらは子供の頃に受けた厳しいしつけが大きく影響していると僕は感じています。
虐待された犬が新しい家族のもとへやって来ても周囲に対してビクビクしているのと一緒です。
のびのびと育てられず、厳しいしつけで「出る杭は打たれる」ように窮屈に育てられたので、相手に意見を言う時に萎縮してしまうようになったんだと思います。
「自分が言うことは強く否定されてしまうんだろう」という強烈な嫌悪感が無意識下に溜まっていて、それが社会人になってからもなかなか主体性が発揮できない大きな原因になっていると僕は感じています。
なぜ人格が変わるようになったのか
僕は、他の人よりも少し繊細に生まれついたと思います。
そして繊細であるにも関わらず、親からかなり厳しい教育を受け続けたことで、心に修復不能なほどの傷が入り、心が完全に閉じてしまったのだと思います。
妹も同じような教育を受けましたが、妹は家では普通な喋り方で喋っているので。(それでもやはり口数は少ない)
僕の場合は、家では何もしない方がいい、何も感情を出さない方がいいと無意識に心がブレーキをかけているんだと思います。
家の外で友達と会う時は普通で、家にいる時だけ性格が変わります。
しかし、おばあちゃんと話す時だけは普通でした。
僕の家族は、父、母、僕、妹、おばあちゃんの5人家族でしたが、唯一おばあちゃんに対しては普通でした。
おばあちゃんの部屋にいる時は、両親のいるリビングの方に聞こえないようにおばあちゃんに冗談を言ったりしてよく笑っていました。
まぁ、こんな感じで僕自身もよく分からない心を持っているので、なかなか周りの人たちには理解されないとは思っています。
今は僕も家で家族と楽しく過ごせるものならそうしたいともちろん思っていますが、なかなか僕にとってはそれができません。
家族といると心が自動的に変わってしまいます。
親が子供を叱る時は必要最低限に留めるべき
僕自身このような経験があるので、みなさんの家庭にはこうなってほしくないと思います。
しつけの厳しさにも限度はあります。
僕の家庭ではその限度を超えていて、そして僕は心が閉じてしまったんだと思います。
子供が悪いことをしたら叱るのはいいとして、必要最低限の叱り方をすることを強くおすすめします。
感情任せで叱ると何も良いことが生まれないと僕は強く思いますし、その後の親子関係、そしてその後の子供の人生に良くない影響を与えてしまうでしょう。
家に帰ると人格がまるっきり変わってしまう僕がいい例です。
厳しいしつけを受けた僕の今の気持ち
しかし、冒頭でも書きましたが、今現在僕は親が嫌いなわけではありません。
というかむしろ育ててくれた感謝の方が今はずっと大きいです。
特に母は本当に優しい人です。
めちゃくちゃ優しくてとっても穏やかな人です。
母には怒られた記憶もなく、いつも穏やかな母であり、むしろ僕は思春期の頃は父に反抗できない分、たびたび母にかなりキツいことを言ったりしてひどく悲しませてきました。
経済的にも裕福じゃないのに、一所懸命作ってくれた母の晩ごはんに対して「まずい食べたくない」と言い放ったこともありました。
母からは僕が嫌悪感を感じるようなことを一度もされたことがなく、ずっと僕に対して優しく接し育ててくれていたのに、僕の家での行動や母に対するキツい言動、妹との関係などで長い間深く悲しい思いをさせてきたので、僕は今、母に対しては命がけで何がなんでも絶対にたくさん親孝行してあげたいと思っています。
家で普通に振る舞うことができなくても、それでもなんとかして家族の良い思い出をこれから増やしていき、優しいお母さんを幸せにしたいと思っています。
母が赤ちゃんの僕を優しい笑顔で抱いている写真なんかを見ると、幸せでささやかな普通の家庭を夢見ていたんだろうなと思って、物凄く悔しいというか、やり切れない気持ちになります。
時間が戻せるなら妹とも普通に喋って仲良くし、母を悲しませることなんてしたくなかった。
なので、僕を愛し、どんな時も味方でい続けてくれた母のためなら、どんな苦しいことでも乗り切ってやろうと固く誓っています。
母に最高の恩返しをしてやろうという揺るがない信念があります。
そして、父にも親孝行はしたいと思っています。
父は厳しかったですが、しかしよくよく思い返すと人格を否定するようなことを言われた記憶がありません。
実家のアルバムやビデオを見ると、僕はそこから家族愛を感じます。
中学生ぐらいまでは毎週末家族でドライブに行っていました。
なので、家庭内での教育の「やり方」が結果的に良くなかったということだけだと思います。
家族の根底にはやはり愛があったんだろうと思います。
また、現在では父から過去の厳しいしつけを反省しているような気配を感じますし、今はすっかり穏やかなおじいさんという感じになっています。
僕が帰省するとかなり色々とおごってくれますし、そこに何か罪滅ぼしのようなものを感じます。
父も僕に立派に育ってほしいという想いがあったんだろうと思います。
父は僕が2歳の時に周りよりも1年早く保育園に通わせること決め、僕はみんなより早く保育園に通い始めました。
そこには集団生活に早く慣れさせておいた方がいいだろうという父の考えがあったらしいです。
なので父は、厳しい環境に子供を置いた方が将来的には子供のためになるという考え方を基にかなり厳しいしつけをしていたのかもしれません。
そして教育なんて教科書もなく手探りの中、必死に本人たちも僕を育ててきてくれたんだろうと思います。
父の仕事は自営業であり、家庭は決して裕福ではなく、経済的にかなり苦しい時期も我が家にあったということを後々聞きました。(僕たち子供を不安にさせたくないため、両親は普通を装っていた)
それでも僕は大学を卒業して現在東京の企業でこうやって働けています。
だから僕は両親への恩は感じますが、憎しみは感じていません。
確かに複雑な感情になることはありますが、しかし憎しみは一切感じていません。
子供のためを思っている親であれば、教育のやり方が良くなくてもいつかどこかで子供は家族の愛を感じると思うので、不必要に家庭環境を歪ませてしまうことは本当に残念なことだと思います。
そういう状況は悲劇だと思います。
まとめ
僕は家庭で以上のような教育を受け、そして現在僕はこのような心を持って家族と接しています。
とても複雑です。
このように結果的に何のメリットにもならず、親と子のお互いにとって良いことがない時間がその後もずっと続いてしまうことは悲劇であると思っています。
悪気があってこのような結果になったわけではないのですから。
だからこそ、みなさんの家庭では僕のようにならず、少しでもより良い家族関係を築いてもらいたいと思いますし、僕のこの経験を反面教師にして、子供を叱る時は必要最低限にしてほしいなと僕は思います。
もちろん子供は悪いこともしますが、やはり良心も持っているため、学校で先生や友達とそこそこ良い感じで生活できているのであれば、親がガミガミ口出ししなくても望ましく成長していくと思います。
もう少し子供のことを信頼してあげても良いのではないかと僕は思います。
以上、こういった自身の経験から、教育はのびのびと、子供の長所を伸ばすような方向性でやっていく方が良いと僕は思っており、もし自分に子供ができたらそうやって伸び伸びと育てていくつもりです。
そして僕自身も、今後色々と難しいことがあるにせよ、両親や妹との関係を少しずつ良いものにしていき、楽しい思い出をこれからたくさん増やしていけるようなんとか頑張りたいと思っています。