「努力は必ず報われる」
みなさん一度はこのフレーズを聞いたことがあると思います。
努力する人の心を奮い立たせるとても耳ざわりの良い言葉ですよね。
しかし結論から言わさせてもらうと、「努力は必ず報われる」なんていうことはありません。
努力をしても報われなかった人なんて数え切れないほど世の中に存在します。
志望校に合格できなかった人、スポーツの試合で勝ち上がれなかった人、ビジネスが失敗した人、芸人として売れなかった人、歌手としてCDデビューできなかった人などなど、やってきた努力が報われなかった人の方が世の中には圧倒的に多いです。
なので、目標に向かって努力する際は「努力は必ず報われる」という考え方は捨てるべきです。
ええー、そんなことないよー!努力をしていれば神様が見てくれていて、いつかきっとその夢を叶えてくれるんだって!
目標に向かう時は、やはり「努力は必ず報われるんだ!」とワクワクしながら目標に向かいたいですよね……。
確かに「努力は必ず報われるんだ!」と思いながら目標に向かって行った方がモチベーションは高まりそうな気はします。
しかしあまりポジティブに物事を考えすぎているとそれが油断に変わってしまいがちですし、努力は必ず報われると思っていた分、努力が報われなかった時にはそれまでの期待の大きさの反動から人生に絶望してしまうのではないかと僕は思います。
そう、かつては僕も「努力は必ず報われるんだ!」と思っていた人間でした。
しかしその後努力が報われることもなく、希望が絶望に変わった反動もあって最終的にはうつ病にもなり、長い間苦しみました。
「努力は必ず報われるんだ!」と思っていた代償はあまりにも大きいものでした。
そんな僕が、努力は必ず報われるなんてあり得ないと主張する理由について以下で詳しく述べていきます。
この記事が目標に向かって努力する人の参考に少しでもなれば幸いです!
椅子取りゲームの椅子には限りがある
例えば、ホームラン数の世界記録を持っている王貞治さんはこのようなことを言っています。
「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない」
いかにも努力家の王さんらしい言葉だと思いますし、実際その並々ならぬ努力で王さんは数々の記録を打ち立ててきたことは周知の事実です。
本当に練習して練習してむちゃくちゃ練習していたみたいですね。
偉大な記録を生み出す過程において王さんのその努力は欠かせなかったと思いますし、胸を張ってそう言えるだけの努力をしてきたんだろうと思います。
しかし「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない」という言葉は同時に、王さんが結果を残せた人だから言えている言葉であると僕は思います。
僕は「努力は必ず報われる」という言葉を人生の成功者からしか聞いたことがありません。
それは確かに当たり前の話で、その人たちは自身の努力が報われたから「努力は必ず報われる」と言っているのです。
努力が報われなかった人が「努力は報われる!」なんて言えないですからね。
なので、このフレーズは決してみんなに当てはまるものではないのです。
このフレーズを言う資格を得たほんの一握りの成功者がこのフレーズを言っているというそういう構図なのです。
そして実際は努力してもその努力が報われなかった人の方が圧倒的にたくさんいるというのが現実なのです。
では、成功している人より努力をしたにも関わらず、それでも最終的には報われなかった人は一体何が足りなかったのでしょうか?
努力はもうすでに十分したはずなのに。
他人と競争をする世界ではどうしても勝ち負けが付いて回ります。
受験でもスポーツでもビジネスでも、限られた枠、ポジションを狙って激しい競争が繰り広げられます。
なので、もし仮に100人全員が同じく1日に10時間努力をしたとしても、枠、ポジションが10個しかなければ100人中10人しかその努力は報われないということになります。
みんな努力をした分だけ報われるのであればこんなに良いことはありませんが、しかし現実には椅子取りゲームの椅子には限りがあるのです。
誰かが勝てば、同時に誰かが負けているということです。
ゆえに、みんなの努力が必ず平等に報われるなんていうことはあり得ないのです。
努力が報われる枠が決まっている以上、努力が報われないことは誰だって十分あり得るのです。
もし仮にみんなが全く同じ量の努力をして受験に臨んだとすれば、最後は個人個人の持って生まれた暗記能力の差や、得意な分野の問題が出されたか否かといった才能や運の領域で結果が決まってくるものだと思います。
そう、努力が報われるということは何も努力だけでなく、持って生まれた才能や人との出会いなど、運の要素も大きく絡んでくるものなのです。
僕は、世の中努力だけでなんとかなるものではないと思っています。
もちろん目標を達成しようとする上で努力は必要不可欠ですが、それだけで目標が達成できるかどうかは正直分からないと思っています。
現実は残酷であり、容赦ありません。
「努力は必ず報われる」というような優しさは現実世界にはないので、そういった考えは捨てるべきです。
努力をするならそういった楽観的な考えは捨てて、地に足をつけて努力すべきです。
残酷かもしれませんが、世の中には勝つ人と負ける人は両方同時に存在するというのがこの世界の現実です。
世の中に光があれば必ず影があるのがこの世界の現実です。
努力が報われるか否かは目標の難易度によって変わる
努力をすること自体を僕は否定していません。
大なり小なり目標に向かう際に努力をすることは不可欠だからです。
そして、努力が報われるか否かはその目標の難易度によっても変わってきます。
例えば英検3級に合格するのとTOEICで900点以上を目指すのとでは難易度や必要な努力の量が大きく変わってきます。
なのでTOEICで900点以上を目指す人は英検3級を受ける人よりも努力が報われる確率は低くなるでしょう。
このように目標の大きさによって努力が報われる可能性が変わってくるので、身の丈に合った目標をクリアしていっている人が一般論として「努力は必ず報われるんだ!」と主張するのはそれは少し違うと思います。
それは目標にも様々な難易度があるということを考慮に入れていないからです。
地方大会で1位を獲ることとオリンピックで金メダルを獲ることはワケが違います。
目標の難易度が上がればその分努力が報われる可能性が低くなってしまうのは当然のことだと思います。
難易度の高い目標に挑んだ時、努力が報われるかどうかは正直その時になってみないと分からないと思います。
僕は努力が報われなかった時に絶望した
冒頭でも話したように、僕も以前は「努力は必ず報われる!」と思っていました。
しかし、そういう希望を抱いていた分、いざ努力が報われなかった時に「こんなはずじゃない……」と絶望してしまいました。
「努力は必ず報われる」という希望がなくなった途端、人生がしんどくなりました。
そして希望がない中で徐々に精神を悪くしていき、最終的にうつ病にもなって、苦しい思いもしました。
でも、それが現実だったわけです。努力なんてそう簡単に報われるものじゃなかった。
厳しいですけど、それが現実です。
なんか、アニメや映画などで夢や友情や希望のような綺麗なものが溢れすぎているんじゃないかなと僕は思いますね(笑)
本当はこの世界はそんなハッピーエンドばかりじゃないよって今は思います。
物事というのは自分の思い通りにはなかなかならないものですが、特に若い人たちは「でも自分は特別だ」と思いがちだと思います。
でも全然そんなことないんですね、実際は。
僕たちは皆ただの普通の人間です。
魔法の杖なんて持ってませんし、みんなちょっと高いところから落ちたら死んでしまう脆いごく普通のちっぽけな人間です。
我々は何も特別ではないため、あまりうぬぼれない方がいいですし、自分に過度に期待しすぎない方がいいのではないかと僕は今までの経験を踏まえてそう思います。
それに僕の経験で言うと「努力は必ず報われる!」と思っていたら変に楽観的になってしまい、逆に目標に向かって一所懸命努力する可能性が低くなるんじゃないかとも思います。
「努力は必ず報われる!」というスローガンよりも、「どうすればこの問題を解決できるんだろうか?」と地に足をつけて一つ一つ地道に考える方がずっと大事だと思います。
むしろ「努力は報われるとは限らない」という考えを持っていた方が危機感が生まれやすく、一所懸命努力する可能性が高くなるのではないかとさえ思います。
まぁ、その辺の感じ方は人それぞれだと思いますが、以前の僕は変に楽観的であり、当時精一杯努力できていたかというと「Yes!!」と胸を張って言えないですね……。
正しい努力の方向性をまず確認するべき!
ここまで「努力は必ず報われる」という考え方を捨てるべきだという趣旨で話してきましたが、もう一度言いますが努力自体を僕は否定していません。
努力なくして目標の達成は不可能だからです。
だって周りのみんなは努力しているんですからね。
「じゃ、結局は周りに負けないようにガムシャラに努力していけばいいのか」と言われればそうではなく、僕は目標を達成するには正しい努力をしていく必要があると思っています。
英語の文法や単語を一切知らずにひたすら難しい英語の長文を読み続けても英語が読めるようにならないのと同じで、努力をするにしても正しいやり方というものがあると思います。
なので、目標を達成するにはどのような方法で物事を進めていけばいいかということを調査する努力を先にする必要があり、自分が一番正しいと思うやり方が見つかれば、あとはそのやり方に沿って努力を重ねていくことが大切だと思います。
速いボールを投げるためにひたすらボールを投げ込むのではなく、正しい投げ方のフォームや鍛えるべき筋肉をまず調べて、その後にそこを重点的にトレーニングしていく必要があると思います。
ただガムシャラに努力をするだけだとその努力が非効率 or 間違っていた場合にどんどん良くない結果になっていってしまうでしょう。
実はこれも僕の失敗経験に基づいた話で、良くないやり方でずっと頑張り続けて全く成果が出なかったことがこれまで何度もあったので、目標に向かって努力するにはまず最初に頭でしっかりと今後の努力の方向性を考えておく必要があると今は強く思っています。
今の時代は精神論、根性論ではなく、頭を使って色々と工夫し、スマートに努力していかなければ周りとの競争には勝てないと僕は思っています。
努力は量ではなく質の方が圧倒的に大事
よく1万時間の法則とかで、「これぐらいの時間努力をすれば結果がついてくる」なんてことが謳われていますが、僕から言わせるのそんなのは大ウソです。
努力した時間と結果は比例しません。
そんなのは努力の過程をまるっきり無視した話です。
例えば僕は昔プログラミングを1万時間勉強しましたが、僕のレベルはエキスパートどころか大学でITの勉強を始めたそこら辺の大学2年生よりずっと低い状態でした。
プログラミングに1万時間携わったところで僕が開発したソフトはバグだらけで目も当てられないような完成度でした。
目標を達成したければただ努力に時間を割けばいいというものではありません。
一番大事なのは、努力の質です。
目標と現状のギャップをしっかりと把握し、そのギャップを埋める解決策を考えてそれを実行し、その結果うまくいったことやうまくいかなかったことを自己評価して、その後まだ何が自分に足りないのかを考え、仮説を立て、解決策を実行し……というようなプロセスを踏んでいかなければ、順当な成長は望めないでしょう。
ただガムシャラにやるのではなく、このような濃い努力の質があってこそ、努力が報われる可能性は高くなるのです。
時間にフォーカスしてはいけません。
努力の質にフォーカスしなければ、僕のように1万時間を無駄にしてしまうでしょう。
報われる可能性の高い努力とは、このような質の濃い努力であると僕は強く強く思います。
まとめ
以上、ここまで努力は必ずしも報われないという主張を僕の経験に基づいて展開してきました。
別に全ての努力が報われないと言っているわけではないですし、やはり努力は大事だと思います。
しかし、世の中には報われない努力もたくさんあるのが現実です。
そうである以上、報われる”可能性”を少しでも高めていくという視点で努力をした方がいいと僕は思います。
僕は音楽での成功を目指しています。
今まで確かに努力をしてきましたし、これからも今まで以上に努力をするつもりですが、正直報われるかどうかは分かりません。
目標の難易度が高ければ高いほど、目標の達成、成功には様々な要素が絡んできます。
なので僕は今、成功のための確率を上げる作業を日々行なっているという認識でいます。
確率の話なので、正直うまくいかなかった時はもう仕方ないかなと今はそう思っています。
まぁ、それぐらいドライな感じにならないとこの厳しい世の中ではやってられないというのが正直なところですね(笑)
そして、そう思えた方が気が楽です。かなり。
自分にプレッシャーをかけ続けてもしんどいだけですしね。
その結果余計なことを考えることなく自分のやるべきことに集中できるのであれば、そう考えるべきかなとも思います。
なので、こういう厳しい現実を踏まえると、僕は「努力は必ず報われる」とはとてもじゃないけど言えません。
しかし成功するためには努力は不可欠なのも事実であり、周りも努力をしている中で自分だけ努力をしなければその差は広がっていくばかりでしょう。
そして僕は今後も自分を信じ、地に足をつけて成功の可能性を上げる努力を続けていくつもりです。
というワケで、目標に向かって努力をしている方々に共感していただけること、参考になるようなことがあったのであれば幸いです!
ここまで長々とお読みいただきありがとうございましたmm
努力が報われてうまい酒が飲めるようにこれからも頑張っていきたいものです \(^e^)/