どうも、太郎です。
このページでは軽く僕のことを紹介していきたいと思います。
まぁ、興味があれば読んでみてください。
誰も興味ねえだろ
うっせえ、マヌケ
カタツムリごときが文句言うな
恐竜だッ!ボケ!
…とりあえず、アナタのことザックリでいいから教えて
太郎について

1991年6月15日生まれ。高知県出身。
好きな歴史上の人物は坂本龍馬というコテコテの高知県人。
身長167cm。体重は変動型の60kg。
東京のIT企業に勤めており、平日はアプリを開発したりシステムの運用などをしています。
休日は音楽を作ったり、絵を描いたり、ブログを書いたり、気になるニュースを調べたり、英語の勉強をしたりしていて、集中力が切れたら散歩をしたりYouTubeを観たりPornhubを観たりして過ごしています。
あと野球が好き。
良い面 – 光

得意なことは作曲で、これまで300曲以上作りました。
親しみやすいメロディーを作ることに関しては誰にも負けない自信がある反面、それ相応のハンディキャップも背負っています。(それについては後述します)
また社会に興味があって、ニュースを観てはよく一人でアレコレ考えたりしています。
世の中の物事に対して「なぜ?」という疑問がよく湧き、それに対して自分の中で一定の答えを見出すことが好きです。哲学的なこと大好き。
このように元々の能力的には純度100%の文系なのですが、僕が他のアーティストたちと少し違うとしたらそれは、いくらか論理的に物事を考えることができるという点だと思います。
社会人になってからずっとIT企業で働いており、自分の資質と真逆の分野に身を置いたことでたくさん苦しいことを経験しましたが、そのおかげで論理的思考能力が磨かれました。
なので音楽を作る傍ら、コードを書いてアプリを開発することができたりと、結果的に今では少し幅広く色々なことができたりします。
悪い面 – 陰

しかし僕は生きづらさを感じていて、実際にそれなりのしんどい人生を歩んできたなと今振り返って思います。
学生の頃は学校の色々な先輩や同級生たちから日々いじめを受けていました。
大学卒業間際には最愛のおばあちゃんの死によって、自分の意思とは関係がなく顔が引きつったり笑ったりする精神障害を発症し、表情のコントロールがきかなくなって以降人間関係にとてつもなく苦しむようになりました。
また、仕事と並行して「25歳までにプロになる!」と期限を区切って音楽でプロになることを夢見ていたものの、最終的にそれが叶うことはなく、大いに挫折しました。
完全に実力不足でした。
夢への挫折を経験したものの、その後たまたま所属できた音楽事務所で作曲家として活動していましたが、何曲作り続けても自分の曲が全く採用されず、徐々に精神的に追い詰められていきました。
さらに平日の仕事では自分に向いていないIT系の仕事に追われ、同僚から何かを言われても全く理解できず、自分の考えを相手に説明する時にも頭の中がぐちゃぐちゃで全く説明ができず、ミスを連発し、周りに迷惑をたくさんかけ、徐々に自分はこの世界に必要ない人間だと思い始めました。
仕事とプライベートが全てうまくいかない状況が続き、そしてある時仕事で大きなミスをした時についに心の糸が切れ、うつ病になりました。
それ以降毎日毎日自殺を考えるようになりました。
何をやってもダメな自分に存在価値が見出せませんでした。
そして所属していた作曲事務所も辞め、この時一度、音楽の道を完全に諦めました。
さらにうつ病と表情のコントロールがきかない精神障害のダブルパンチがかなりキツく、精神的に落ちるところまで落ちていきました。
その後幸いにも、なんとか自殺をすることはなかったですが、しかし案の定仕事でも理解できなことが多くてミスばかりしてしまい、もう社会人として普通にその先を生きていける自信が全くありませんでした。
やがて「自分の得意なことで生きていくしか自分の生きる道はない」と激しい危機感が生まれ、YouTubeなどを通じて音楽活動を再開することにしました。
しかし精神的にボロボロな状態で活動を再開したため、まだまだ心がエネルギー切れ状態であり、ただでさえ普通に何かをしようとしても苦しいのにその後色々なことにチャレンジしてことごとく失敗し続けたため、精神的にズタズタでかなりつらく苦しく、生活も荒れている状況が続きました。
そして仕事では依然全く使い物にならないレベルの仕事しかできず、やがて自分の低いキャパシティを超える業務量の多さに押し潰されて、文字通り会社を飛び出したりもしました。
精神障害を抱えているため人に会うこともせず、また、これまでの人生で一度も恋人ができたことがなかったため、精神的につらい時は一層孤独感を感じて寂しく苦しかったです。
ざっと振り返りましたが、要は僕は社会不適合者でした。
普通の人たちが動かしている社会に、普通じゃない僕は全く適合できませんでした。
物事には光と陰の両面があり、僕は芸術の才能や感性の鋭さを持ちながらも、それに伴う精神障害や組織で働く労働者としての低い適性に悩み苦しみました。
明けない夜はない

このように完全に落ちこぼれで普通ではなかった僕ですが、そんな中でもつらい状況をなんとかしたいと思って色々な本を読んだり、仕事になんとか食らい付いたり、風俗に通いまくったり、新しいことを色々やり始めてみたり、住まいを引っ越したりする中で、やがて少しずつ少しずつ心の状況が改善されていき、自分の置かれている状況も受け入れ始め、本当に少しずつですが、以前と比べるとメンタルが落ち込みにくくなっていきました。
途中色々なことがありましたが、どん底の精神状態が始まってから3〜4年かけて、ようやく「どん底の精神状態」から「ある程度普通の精神状態」に戻りました。
気が付けばいつの間にか苦しみのトンネルから抜け出すことができていました。
さらに意外なことに、あれほどできなかったITの仕事がいつの間にかできるようになっていました。
論理的に物事を考えて、以前よりも論理的に自分の考えを相手に伝えることができるようになっていました。
自分の考えを述べる時に自分でも何を言っているのかよく分からないというようなこともなくなり、同僚からの説明も自分の頭の中でしっかり整理して理解できるようになっていました。
これは多分、「もしこのまま変わることができなければ、この世界で生きていけない!」と脳が強く思い、脳の回路が強烈に書き変わっていったからなんじゃないかなと個人的に思っています。
こうした僕自身の経験から、キレイゴトではなく、「人間やればできないことなんてない、人間の持つ可能性はとてつもなく大きい!」と思っています。
芸術能力100、論理能力0の僕が一定程度まで論理能力を獲得でき、うつ病という超絶苦しい病も乗り越えることができたのですから。
生きづらくても

「精神状態が普通に戻った」とは言っても、それは生活に支障が出るほど気分が沈みにくい、イライラしにくいというだけで、生きづらさは自分の中に相変わらず存在しています。
依然、自分は周りの人とは違うということをよく感じますし、精神障害だって治っていません。
しかし僕は今、結局はこの生きづらさと共に生きていかなければいけないんだろうなとある意味少し前向きに考えています。
だから今は、自分の苦手なことやできないことをずっと見続けているようではダメだと思っていて、「自分には得意なこともあるんだから、今度はそっちに意識を集中して力を発揮していこう」と考えて生きています。
そして、その自分の長所は音楽を作ることであったり、絵を描くことであったり、文章を書くことだったり、良くも悪くも普通の人ができないようなことをやれるクレイジーさだったりするので、これからはそれらの自分の長所を積極的に、前向きに活かしていきたいと思っています。
理念・ビジョン
アーティストとして成功することで親に大きな恩返しを
僕は作詞作曲に関しては誰にも負けない自信があります。
また水彩を使ったユニークな絵も描けますし、社会や政治に興味関心があって個人的に色々勉強もしましたし、ちょっと人とは違う人生を歩んできたと思うので、そういった僕の個性と経験を総動員して、僕にしかできない芸術を追求していきたいと思っています。
これまでのやり方、常識に囚われず、時にはギリギリのラインを攻めながら、オンリーワンの芸術を追求していきます。
社会不適合者ナメんな!!
そしてアーティストとして成功することで、苦労をかけた親にたくさん親孝行をしたいと思っています。
特にお母さんには普通じゃない僕、変わった僕を育てることで、つらく悲しい思いをたくさんさせてしまいました。
それなのにどんな時でも僕の味方でいてくれて、いつも穏やかに優しく接し続けてくれたお母さんには、普通じゃない僕にしかできないような特別な恩返しがしたいと思っています。
大きく悲しませてきた分、大きく恩返しがしたい。
お母さんはスピッツというバンドの大ファンなので、僕がアーティストとして成功していつかお母さんとスピッツを会わせたい、一緒にご飯でも食べさせてあげるようなことがしたいと思っています。
美味しいものもたくさん食べさせてあげたいし、常々行きたいと言っている旅行にも色々連れて行ってあげたいし、病気になった時は苦痛の少ない最先端の治療を受けさせてあげたいし、もっと生活も楽にしてあげたい。
アーティストとして成功することで、いつかずっと思い描いている親孝行を絶対にしてあげたいと強く強く心に誓っています。
多様性溢れる社会を目指して
また、上述のように僕自身が「周りと違う」ということを沢山経験してきたがゆえに、この社会はもっと一人一人の違いを前向きに捉えられる社会にならなければいけないと強く思っています。
近年「多様性」という言葉がよく叫ばれていますが、僕は「みんな違ってていいじゃないか」ということをもっともっとこの社会に浸透させなければいけないと思っていますし、得意なことや不得意なことがみんなそれぞれ違っているからこそ、得意分野を専門的に分業させることで社会はここまで豊かに幅広く発展してきたのだと思います。
つまり、不得意なことばかりに目を向けるのではなく、その裏側にあるその人の得意なことにもっと目を向けなければいけないと思っています。
相手の良い面を引き出すには相手の悪い面を受け入れなければならず、良い面と悪い面はトータルで考えなければいけません。
個人個人の悪い点ばかりに目を向けていれば何も良いものは生まれず、そうではなく個々の違い、個性の違いを受け入れてもっと他人の良い点を中心に見ていく必要があると思っています。
一人一人の違いをもっと許容できる社会にしたい、個性が尊重される多様性溢れる社会にしたいというビジョンを持って、自分にしかできないような発信を積極的にしていきたいと思っています。
道を切り開くことを大切に
最後に。
これまで色々なことがありましたが、今後は道を切り開くことを大切にし、自分の可能性を小さく見積もらず色々なことにチャレンジしていきたいと思っています。
僕は頭は良くないですが、その分気持ちの強さが僕の持ち味だと思っており、一度心が折れて、その後も何度も心が折れそうになっても諦めずにここまでやってきました。
ただこれからも困難なことに挑戦するので、時にはしんどさもある程度伴うでしょう。
でも、しんどいことを乗り越えた時の景色が格別なのもまた事実で、僕は目標を達成する上でこれから困難なことがあっても、どうにかして最終的にそれらを乗り越えていきたいと思っています。
それが人生の醍醐味だと僕は思います。
憂きことの なおこの上に つもれかし 限りある身の 力ためさん

to be continued…